とにかく衝撃的です。
打ちのめされました。。
あまりに凄過ぎて、言葉がないですね。
映画を観終わった後、エンドロールが終わった後もしばらく放心状態で動けない、というか動きたくないという状態になる映画って、何年かに一度くらいのペースで巡り合いますよね。
『愛しのアイリーン』
まさにそんな映画です。

僕が大好きで、そして最も信頼している社会学者であり映画批評家の宮台真司さんが、『愛しのアイリーン』にこのようなコメントをしています。

これから僕の感想を書いていこうと思いますが、この映画の「素晴らしさ」や「衝撃」に比べると、僕の言葉なんてゴミみたいなものです(笑)
なので、まずはこの映画を観てもらいたいです。
「愛しのアイリーン」を観た感想
ではここから「愛しのアイリーン」を観た僕の感想を書いていきたいと思います。
まずは簡単な「あらすじ」から。
嫁のなり手がいない日本の農村が舞台。
一世一代の恋に玉砕したパチンコ屋で働く42歳のダメ男・宍戸岩男は、大金をはたいてフィリピンで嫁探しツアーに参加する。
30人もの現地女性と次々に面会してパニック状態になった岩男は、自暴自棄になって相手を決めてしまう。
その相手がフィリピンの貧しい漁村に生まれたアイリーンだった。
異国から来た幼い妻と、息子を溺愛する母親、閉鎖的な村社会との狭間で翻弄される様がそこから描かれていく。
愛のない結婚として始まった夫婦関係が、時間を経る中で「本物の愛」に変わっていく過程を通じて、「真実の愛」とは何かが問われることになる。
【引用元:愛しのアイリーン公式サイト 】

最初は「愛」などどこにも存在しない
まさに「究極の愛」を描いた映画。
「本当の愛とは何か」
それを観る側に剥き出しに突き付けてくる映画です。

岩男は同じパチンコ屋に勤務する子持ちの人妻・愛子の事を好きになるが、その愛子が同僚の男と淫らなセックスをしている事を知って愕然とする。
裏切られたような気持ちになって、フィリピンへの嫁探しツアーに参加するわけです。
300万円支払って参加したその嫁探しツアー。

そこでアイリーンと出会います。
ただ最初は、どうしてもアイリーンがいいと思って選んだわけではなかったのですね。
30人もの相手の中から結婚相手を選ぶわけですが、その途中で岩男は疲れ果て、もうどうでもよくなって、適当にアイリーンを選んだわけです。
そんなわけなので、出発点には愛など全くなかったわけです。
岩男にとっては、ただ嫁(=セックスできる相手)がいれば誰でもよかったわけです。
一方のアイリーンも、フィリピンの貧しい漁村で貧しい生活を送っていて、何とか母親に楽をさせてあげたいとお金を得る為に結婚するわけです。

そんな結婚だったわけですが、アイリーンは「愛」を切望もしています。
ある時、伊勢谷友介が演じる塩崎という男から、「お前は金目的で結婚しているんだから、売春婦と一緒だ」と言われてしまいます。
アイリーンは、貧しい家族を幸せにする為、「お金」も大事、でも「心」もそれ以上に大事、ただお金で岩男に買われたのは事実で、そのような狭間で思い悩みます。
その悩みを岩男に打ち明けると、岩男は、
愛で嫁なんて来ねえ。
42年間生きてよ~く分かったことだ。
俺だって心が通じた相手と一緒になりたかったよ。
と、アイリーンに冷たく言い放ちます。

この時点でも、二人の間に「本物の愛」など全くありません。
そのような打算的な関係が、一緒に過ごす時間が増えていく事で、少しずつ変化していきます。

ただ決定的に変化したのは、岩男が人を殺してしまうという、後戻りできない「大きな代償」を払った後でした。
アイリーンを連れ去ろうとした塩崎を追いかけた岩男は、塩崎を猟銃で撃ち殺してしまいます。
そこまでして自分を守ろうとしてくれた岩男に対して、アイリーンは大いなる愛を感じます。

自分の全財産を渡して「フィリピンに帰って幸せになれ」という岩男に、アイリーンは、「私が岩男さんを守るから」と言い、二人で涙を流しながら抱き合います。
アイリーンは敬虔なクリスチャンで、本当に愛する人に自分の操を捧げると誓ってきたので、結婚したにも関わらず岩男に身体を許しませでした。
岩男は執拗に「おま○こさせろ!おま○こさせろ!」と迫るわけなのですが(笑)、アイリーンは絶対に身体を開く事はなかったのです。

そんな関係であったのですが、塩崎を殺し涙を流して抱き合った後、まっすぐ家に戻り貪るようにお互いの体を求め合うのでした。
濃密なセックスを介して、本当に愛し合っていると感じ合う二人なのでした。
不安を埋め合わせるセックスの機能
その後、人を殺してしまったストレスで、岩男の精神は崩壊へと向かっていきます。
以前振られた同じパチンコ屋の人妻・愛子を誘い、ところ構わずセックスしまくります。

お互いの不安を埋め合わせるような悲しげなセックスなのですが、相手を癒し、許し、そして包摂し合う、不思議な温かさの伴うセックスでもあるのですね。
男女の性(さが)、というか人間の性(さが)のようなものをリアルに映し出したような興味深いシーンでもありました。
以前、元外交官で今は作家の佐藤優さんが、ソ連崩壊の時、ソ連大使館で死の危険を感じた人達が、そのあたりでところ構わずセックスしていたという話をしていました。
死が迫っているという強烈な「不安」は、人を強烈にセックスへと駆り立てるのでしょうね。
まさに岩男は鬼気迫る表情を浮かべて愛子と貪るようなセックスに没頭することで、ほんの一時、猛烈な不安から解放されていたのでしょう。
不可能だと思われた「愛」が確かに生まれた
また、アイリーンと岩男の母・ツルの関係の変化も見逃せない要素です。
岩男の母親ツルは、まさに閉鎖的な村の昔ながらの頑固な母親です。

大切に大切に育てた息子の嫁がフィリピン人などということは、何があっても絶対に許せないことなのです。
岩男がアイリーンを最初に家に連れてきた時、ツルは猟銃を持ち出してきてアイリーンを撃ち殺そうとします。

それが無理だと分かると、岩男に
「この女か、私のどちらかを選んで撃ち殺せ」
と言い放ちます。
それほどアイリーンという存在を跡形もなく消し去ってしたいたいわけです。
しかたなく一緒に暮らすようになってからも、アイリーンの事を「虫けら扱い」し続けます。

アイリーンも日本語はほとんど分からないまでも、ツルのそのような気持ちは分かっているので、ツルに心を許そうとはしません。
そして「くそババア!」と激しく何度も喧嘩するのです。
そのような関係がずっと続いていくわけですが、ツルが死ぬ直前、ようやく「和解」の瞬間が訪れます。
岩男が死に、もう生きる気力も失い、声も出なくなったツルは、自分を雪山に捨てるようにアイリーンにお願いするのです。
断るアイリーンに、もしそうしなければハサミで切るなどと脅しながら、アイリーンはツルを背負って雪山へと向かうわけです。

そして雪山にツルを下した後、二人の会話の中で、アイリーンが「お腹に岩男さんの子供がいるかもしれない」と言うのです。
すると、アイリーンに対して一貫して険しい表情を崩さなかったツルが、何ともいえない優しい表情を浮かべるのです。
ツルは木野花さんが演じているのですが、凄まじい演技なんですよね。
もう本当に最高の役者さんです。
アイリーンが「母ちゃん、一緒に帰ろう」と泣きながらまたツルを背負う時、間違いなくそこに愛はあるのです。

あれほど憎しみ合ってきた二人。
この二人の間にだけは絶対に「愛」など生まれないと思われたのに、お腹の中の赤ちゃんを媒介として、最後の最後に「愛」が確かに生まれたのです。
「アイリーン、愛してっど。」
岩男も死に、そしてツルも死に、一人になったアイリーンが雪道をフラフラと歩いている時、岩男の言葉が耳に木霊してくるのです。
「アイリーン、愛してっど。」
岩男が生前、たった一度だけアイリーンに愛を伝えた言葉。
その言葉がアイリーンの心に深く残っていたからこそ、そしてアイリーンも深く岩男の事を愛するようになっていたからこそ、彼女の耳にその言葉が木霊したのでしょう。

最初はお互いに条件さえ合えば誰でもよかった、愛などは一切そこには存在しなかった関係。
ほんの偶然によって結婚する事になった相手。
そんな二人が、最後は深い愛によって強く繋がれたという事実。
その感動は言葉にすることは困難です。

幾多の美男美女同士の恋愛映画のハッピーエンドがいかに薄っぺらく、深さを欠いているのか、そういった事もおのずと浮き彫りになってくるような本物の映画です。
この言葉にならない深い感動、それは痛みも伴うわけですが、深く心を揺さぶられる感覚を、是非多くの人と共有したいと思い、ここまで書き進めてきました。
「愛しのアイリーン」、まだ観ていない人は是非ともご覧になってみてください。
「愛しのアイリーン」主題歌
最後に、この映画「愛しのアイリーン」の主題歌を紹介したいと思います。
エンドロールで流れてくる主題歌、奇妙礼太郎が歌う「水面の輪舞曲(ロンド)」がまた素晴らしいんです。
映画の内容がフラッシュバックされ、岩男とアイリーンの「愛」が胸に再び突き刺さってくるような感覚に襲われました。

今、「水面の輪舞曲(ロンド)」を聞きながらこの記事を書いているのですが、再度、心が揺さぶられるのです。
映画の本編を味わい尽くした後、更に「水面の輪舞曲(ロンド)」で深い感動の余韻を楽しんでください。
そして最後の最後、宮台真司さんの言葉で締めたいと思います。
長い文章にお付き合い頂き、本当にありがとうございました。
「愛」ではなく「愛のようなもの」こそが「本物の愛」である。
この逆説を前に観客は傷つくだろう。
だが本作を見て傷つく者だけが「本物の愛」への資格を獲得するのである。
「お前に『本物の愛』は不可能だ」と突きつける「十年に一本の傑作」に耐えてほしい。
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