『パラサイト 半地下の家族』の感想と考察を書いていきたいと思います。
「格差」描写のあまりの見事さに、ただただ驚愕しましたね。
悲惨な、凄惨なトーンで「格差」を描く事はそこまで難しくないと思うんです。
でも、見ているだけで絶望するほどの、とてつもなく悲惨な「格差」を、エンターテイメント性十分に、かつ芸術性豊かに描くというのは至難の業でしょう。
『パラサイト 半地下の家族』は、まさにその難題を見事にやってのけた稀有な映画だと感じました。
「格差」描写の最も象徴的なシーンがこれです。
大雨の夜、やっとの思いでパク社長の家を抜け出し、半地下の我が家へと逃げ帰るギテク、ギウ、ギジョンの3人。
高台にあるパク社長の豪邸から、半地下の我が家へと帰る道のりが、そのまま「格差」の象徴といった描写なんですよね。
坂道やら、階段やら、とにかく下へ下へと下っていくわけです。
それはまさに絶望的に思えるほどの、地獄への道を辿るかの如く、下へ下へ、ただただ下っていくわけです。
その厳しい現実が観ている側にも深く突き刺さってきます。
高台の豪邸は、大雨が降ろうがビクともしないわけですが、「半地下」の我が家は、ほぼ全て雨水の中に沈んでしまったのです。
自分たちの今までの人生全てが泥水の中に沈んでしまうという絶望的な状況。
汚水が噴水のように噴き出すトイレの上に座って煙草を吸うギジョン。
世の中にいったいこんなにも壮絶な「絶望」があるのでしょうか。
『パラサイト 半地下の家族』考察【1】「ニオイ」「性癖、セックス」
色んな要因が積み重なって、金持ちと貧乏人がいる。どんな社会にも「格差」は必ず存在します。
でも、金持ちと貧乏人は、少しでも表面の皮を剥ぎ取れば、ほとんど同じような存在である。
違いは表面だけで、内面・本質はほぼ一緒である。
その表面的な違いを「ニオイ」。内面・本質の同一性を「性的なもの」で描いているように感じました。
しかし、表面的なものとはいえ、「ニオイ」は長年の劣悪な環境で染みついてしまったものであり、簡単には消すことができない。
「半地下」という環境から抜け出さないと、消し去ることはできないもの。
パク社長はギテクのニオイをこのように表現したのです。
パク社長は、自分の服に嫌なニオイがつくことを極度に嫌っていました。
「ニオイ」が絶対に超えることのできない階級の境界線になっているということを無意識に理解しているかのように。
そしてパク社長は、その「ニオイ」が原因となって殺されることになったのです。
大雨で半地下の家が水没してしまい、生きるか死ぬかの思いをしている自分を含めた大勢の下層民衆。
その一方で、多くの人が苦しんでいる事実さえ全く知らず、ノー天気にパーティを開く金持ち連中。
溜まりに溜まったやり場のない、どうしようもない怒りを抱くギテク。
無意識化でギテクは、下層民衆全ての憤り、怒りを背負ってパク社長を殺したのではないでしょうか。
自分の意志というよりは、夢遊病者のように無意識に突き動かされて殺してしまった。
そのトリガーが「ニオイ」だったわけです。
下層民衆の体の芯まで染みついてしまっている「ニオイ」。
自分の息子が気絶していて一刻を争う危機的な状況下でも、貧乏人の「ニオイ」に鼻をつまんだパク社長。
その瞬間、動物以下の存在として扱われたグンセ。
人間としての尊厳など、そこには全く存在しなかったのです。
動物のように扱われたグンセを見て、ギテクは人としての根源の部分、深い深い部分を全否定されたかのように感じたのではないでしょうか。
「ニオイ」がそのように差異の要素として描かれていました。
そして、金持ちと貧乏人は表面的には違うが、内面・本質は全く一緒だという部分を「性的なもの」の描写で表現していました。
ギジョンが運転手を追い出すために、脱いだパンティーをパク社長の車に隠すという罠を仕掛ける場面がありました。
パク社長と奥さんは、そのパンティーを見つけて、運転手が変態的なカーセックスをしていると信じ込み、追い出すことになりました。
「変態野郎」は穏便に追い出す必要がある。
そうしないと、「僕たちの品が下がる」から。
そのように、いかにも自分たちが高尚であるかのように振る舞っていたパク夫妻ですが、実際にはセックスする時にパク社長はこのように言っていたのです。
どっちが変態だ!って観客はみんなスクリーンに突っ込みたかったと思います(笑)
そこには「品」も何もあったもんではないわけです。
元家政婦・ムングァンと夫・グンセの地下の部屋には、使用前、使用後にきっちり分けられたコンドームの山がありました。
そしてグンセは「老後は愛情で生きていくもんだ。」と語っていました。
セックスは深い衝動的な欲望なわけで、人間の本質がそのまま立ち現れますよね。
金持ちであろうが貧乏人であろうが、欲情に突き動かされて同じようにただセックスする動物的な存在でもあるわけです。
そこには全く違いがないわけです。
というか、他の女のパンティを穿かせて興奮するパク社長より、ちゃんとコンドームを使った愛情あるセックスをしているであろう地下の夫婦のほうが、よほど倫理的にも見えてきます。
一皮むけば、大した違いなど全くない、それぞれのセックスに纏わる描写はそんな風に感じさせるものでした。
『パラサイト 半地下の家族』考察【2】「ユーモア」「愛」
「ニオイ」が金持ちと貧乏人との差異を表現していたわけですが、差異を表現する他の要素として「ユーモアの感覚」というのも挙げられると思います。
貧乏人は「笑わないとやってられない」とでも言うかのように、キム家も、ムングァン・グンセ夫妻も、とにかく面白いですよね。
父ギテクが下らない事を言った後、爆発的に笑うシーンなど、どこにもいそうな貧乏で下品なオヤジをソン・ガンホは本当に見事に演じていました。
満足な食事にもありつけないほどの絶望的な貧困状態。
そして母チュンスクは、そんな状態から抜け出せないダメ夫をけなしたりもするわけです。
でも、そんな状態であっても、この家庭には常に笑いがあり、笑いがあるからどんな環境であっても希望を感じるんですよね。
同じく、ムングァン・グンセ夫妻も面白いですよね。
特にムングァンが、「敬愛するキム・ジョンウン同志!」と北朝鮮・国営放送局アナウンサーの物真似をするシーンなんて最高でした。
そんな奥さんのギャグを聞いた後にグンセが面白くてたまらないと笑い声を噛み殺しながら、
「さすが親北ギャグの極致。愛してるよ、お前。」
と言うのです。
グンセは借金取りに追われて、パク社長宅の地下で隠れて暮らすという悲惨な状況なのですが、この夫婦にも「愛」と「笑い」が確かにあって、幸せそうなんですよね。
一方、大金持ちで成功者のパク社長。
パク社長と奥さんの間に「笑い」はないし、「愛情」も感じません。
パク社長は奥さんに、あの安物のパンティーを穿かせて欲情したいわけですし。
奥さんという個人そのものに「愛情」や「関心」があるわけではどうやらなさそうです。
このように比較してみると、どちらが本当に幸せなのか、よく分からなくなりますね。
『パラサイト 半地下の家族』考察【3】「ムングァンが最後に語った言葉」
前の家政婦ムングァンの存在も『パラサイト 半地下の家族』の中では重要でした。
ムングァンは、チュンスクのことをいったいどのように思っていたのか、この映画を読み解く上で非常に重要だと僕は感じました。
死ぬ間際、ムングァンが旦那のグンセに言った言葉がとても印象的でした。
「言ってみて、チュンスク、チュンスク。」
最初、家にいれてくれたチュンスクの事を本当の同志だと思っていたのは間違いないでしょう。
そして旦那をそのまま住まわせてほしいと懇願するわけです、本当の姉にお願いするかのように。
その後、チュンスク達が詐欺家族だと知った後、家族全員を罵倒するわけです。
そして死ぬ間際のこのような言葉。
チュンスクに蹴落とされて死にかけなのに、「本当にいい方」と言っている。
チュンスクの名前を、旦那に繰り返し2回言わせようとした意図は、意味はいったい何だったのか?
同じ社会の底辺に位置する者同士、やはり仲間だという連帯意識を殺されかけても持ち続けたのか。
それとも旦那グンセが「チュンスク!」と名前を叫びながら探し回って刺し殺そうとした事を考えれば、グンセに復讐を託して、記憶に深く残るよう、暗示のようにチュンスク、チュンスクと繰り返したのか。
これに関して僕は何回考えてもよくわかりませんでした。
ただ、ムングァンが「チュンスク、チュンスク」と呟くように繰り返していた言葉、その時、ムングァンの口調はとても穏やかで優しかったように僕は感じました。
『パラサイト 半地下の家族』考察【4】「計画」
「計画」という言葉が、何度も何度も執拗に繰り返されていました。
口癖のように、「計画」「計画」「計画はあるのか?」と。
「計画」がある。それは素晴らしい。
「計画」がない。それじゃだめだ。
「計画」こそが素晴らしい未来を約束する切符であるかのように。
今まで、失敗し続けてきたギテクの人生。
その失敗の原因は「計画のなさ」だと考えている節があるわけです。
だからこその「計画」賞賛。
しかし大雨の後、悟りきったように息子ギウに語りかける父ギテク。
なぜか?
計画を立てると必ず、人生、その通りにいかない。人は無計画なほうがいい。計画がなければ間違いもない。
それに最初から計画がなければ何が起きても関係ない。
人を殺そうが国を売ろうが、知ったこっちゃない。分かったか?
今までの人生で、「計画」を立てながらも、失敗を続けてきた人生。
ギテクやグンセの世代は、人生においてしっかりした「計画」を立てたとしても、韓国通貨危機、経済危機からの台湾カステラチェーンの倒産など、自らではコントロールできない大きな力によって敗北者として社会の下層に押し込められてきたわけです。
「計画」を立てても立てても、うまくいかなかったであろう人生。
そんな人生を送ってきて、最愛の息子に、「計画」こそ本当に大切なことだと口癖のように言い続けてきたギテク。
それが最後の最後、今までの人生で拠り所のようにしてきた「計画信仰」を投げ捨てたギテク。
それは深い深い絶望だったのでしょうか。
「人生というのは無意味だ」と。
「計画」があってもなくても、絶対にうまくいかないようになっている人生。
絶望し切った父ギテク。
そんな父の絶望を受け、息子ギウはいったいどうしたのか?
「何で石を抱えてる?」と父に聞かれたギウは、涙を流しながら、
と答えたのです。
ミニョクにもらった「山水景石」。
そこから人生が上手く行きそうに思えた。
自分の憧れであり、完璧な理想の存在であるミニョク。
高校2年生・ダヘの家庭教師をミニョクから引き継ぐ際、ダヘが大学に行ったら真剣に付き合うつもりだとミニョクから告白されていたギウ。
しかし結局、ダヘと両想いになり、大学に行ったら真剣に付き合うと両親やギジョンに告白したギウ。
そのように告白している時、ミニョクを裏切っているという後ろめたさなど微塵も感じていないように見えるギウ。
実際に、ギウはミニョクを裏切っている意識なんてなかっただろうし、故に後ろめたさなどという感情はなかったのでしょう。
ギウはその時、まさに「ミニョクそのもの」だったのだから。
あのようになりたい、とずっと思い続けてきたミニョクという魅力あふれた存在。
人生で初めて、「成功」という階段を上り始めたように感じていた時、ギウはまさに身も心も完全にミニョクになっていたわけです。
あまりにも強い思いがギウをそのようにさせたのでしょう。
ミニョクにもらった石が自分に「へばり付き、ついてくる」ように感じるのは、自分がミニョクになりたいという思いで無意識にミニョクにへばり付いてきたということの反転なのでしょう。
でも「計画」が破綻し、何よりも大切にしてきた「へばり付き、ついてくる」石を川に捨てた時、ミニョクへとへばり付いてきた自分の気持ちも捨て去ることができたのでしょう。
そして、父に手紙を書くのです。
今日、計画を立てました。「根本的な計画」です。
お金を稼ぎます。大金を。大学、就職、結婚、それも全部いいけど、まずはお金から。
ギウにとって、再出発する人生の「根本的な計画」は、何よりも「大金を稼ぐ」という事。
何よりも「お金」が全て。
「お金」がなければ何にもならない。
それがギウの辿り着いた「根本的な計画」なのでした。
もちろんそれは父親を救うためではあるけれど、それだけじゃないギウのもっと深い心の部分で決めた、自分の人生における「根本的な計画」。
人生における、幸せと呼べるような様々な要素、そのどれよりも、「お金」を最優先事項に設定した人生。
家族思いで、友達思いで、ユーモアのセンスもあり、人間味溢れたギウ。
成功者であるパク社長の一家としばらく共に過ごし、その世界の一員に自分もなれると一時期思い、でもまた転落して元の場所「半地下」に戻ってきた自分の人生。
その経験を踏まえてギウが決めた「お金」を最優先事項に設定した人生。
人生を本当の意味で豊かにする様々な要素、それらを手に入れるための最も基礎的な土台に「お金」がある。
諦観したようにも見えるギウのその姿には、そのように考えるしか選択肢のない厳しい社会を生きている多くの若者の姿が映し出されているように感じました。
母チュンスクが語った言葉が今でも胸に深く響いてきます。
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『パラサイト 半地下の家族』のあらすじ・紹介動画・ポン・ジュノ監督のコメント
過去に度々事業に失敗、計画性も仕事もないが楽天的な父キム・ギテク。そんな甲斐性なしの夫に強くあたる母チュンスク。
大学受験に落ち続け、若さも能力も持て余している息子ギウ。美大を目指すが上手くいかず、予備校に通うお金もない娘ギジョン。
しがない内職で日々を繋ぐ彼らは、「半地下住宅」で 暮らす貧しい4人家族だ。「半地下」の家は、暮らしにくい。窓を開ければ、路上で散布される消毒剤が入ってくる。電波が悪い。Wi-Fiも弱い。水圧が低いからトイレが家の一番高い位置に鎮座している。
家族全員、ただただ「普通の暮らし」がしたい。「僕の代わりに家庭教師をしないか?」受験経験は豊富だが学歴のないギウは、ある時、エリート大学生の友人から留学中の代打を頼まれる。
「受験のプロ」のギウが向かった先は、IT企業の社長パク・ドンイク一家が暮らす高台の大豪邸だった。パク一家の心を掴んだギウは、続いて妹のギジョンを家庭教師として紹介する。更に、妹のギジョンはある仕掛けをしていき。。
「半地下住宅」で暮らすキム一家と、「高台の豪邸」で暮らすパク一家。この相反する2つの家族が交差した先に、想像を遥かに超える衝撃の光景が広がっていく。。(引用元:『パラサイト 半地下の家族』公式サイト)
【ポン・ジュノ監督のコメント】
違った環境や状況に身を置く人々が、同じ空間に一緒に住むことは容易ではありません。
この悲しい世界では、共存や共生に基づく人間関係が成り立たず、あるグループが他のグループと寄生的な関係に追いやられることが増えています。そのような世界の真っ只中で、生存をかけた争いから抜け出せずに奮闘する家族を誰が非難したり、「寄生虫」と呼ぶことができるでしょう?
彼らは初めから「寄生虫」であったわけではありません。
彼らは私たちの隣人で、友人で、そして同僚だったのにも関わらず、絶壁の端に押しやられてしまっただけです。回避不能な出来事に陥っていく、普通の人々を描いたこの映画は「道化師のいないコメディ」「悪役のいない悲劇」であり、激しくもつれあい、階段から真っ逆さまに転げ落ちていきます。
この止めることのできない猛烈な悲喜劇に、みなさまをご招待いたします。
『パラサイト 半地下の家族』メイキング映像
以上、『パラサイト 半地下の家族』の感想と考察、そして映画情報のまとめでした。
『パラサイト 半地下の家族』は、カンヌ映画祭の最高峰「パルムドール」を2019年に受賞しました。
他の年のパルムドール受賞作品はこちらのページにまとめています。
ぜひご覧になってみてください。
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