【ストーリー】
2015年、架空のカナダで起こった、ある現実。。
とある世界のカナダでは、2015年の連邦選挙で新政権が成立。
その2ヶ月後に内閣はS18法案を可決する。
その法案は公共医療政策の改正が目的。中でも特に議論を呼んだのは、S-14法案だった。
発達障がいを持つ子供の親が、経済的困窮や、身体的、精神的な危機に陥った場合は、法的手続きを経ずに養育を放棄し、施設に入院させる権利を保障するというスキャンダラスな法律だった。
ADHDを抱える息子・スティーヴの母、ダイアン・デュプレの運命は、この法律により、翻弄されていくことになる。。
【見どころ】
1:1の画面アスペクト比を用いた表現で、愛ゆえに傷つけ合ってしまう母と息子の心情を炙り出す。
Oasisの「WONDERWALL」などの名曲が物語を彩る。
【引用元:Mommy/マミー公式サイト】
「Mommy/マミー」 を観た僕の感想
「Mommy/マミー」を観た僕の感想をここから書いていきます。
ネタバレを含みますので、これから映画を観ようと思っている人は注意して下さいね。
若き天才と称されるグザヴィエ・ドラン監督が世界中で注目されるようになったのが、この「Mommy/マミー」でした。
ADHDの息子・スティーヴと、母ダイアン・デュプレの濃密で複雑な親子関係が描かれている映画です。
母親と息子の愛憎入り混じる関係性。
ADHDで生き辛さを抱えながら、奔放でやりたい放題である半面、ガラスのような繊細さを持ち合わせているスティーブ。
そんな息子を持て余しながらも、深い愛情を注ぐ母親。
その二人の関係に、親子の向かいの家に住む女性・カイラが絡んでくる。
吃音症という病気で言葉がうまく話せなくなり、教師の仕事を休んでいる彼女。
そのように精神的に不安定な彼女が、同じく精神的に不安定なスティーブ、そしてダイアンとの付き合いを通して癒されていく過程は、観ているこちら側も温かい気持ちになります。
人間関係というのは面白いというか不思議なものだなぁと「Mommy/マミー」を観てみて感じました。
向かいの家に住むカイラは、吃音症でうまく言葉がでてこないので、家に引きこもって人との接触を避けていました。
とあるきっかけで、スティーヴ、ダイアン親子と関わりを持つ事になるのですが、二人と濃密に関わる事でカイラは回復していくわけです。
二人とリラックスして過ごしている時は話せる言葉の量も増えていっているのですが、カイラの自分の家族(夫と娘)と話をしようとするとなかなかうまく言葉も出てこない。
そのあたりの実情も「家族」という存在の難しさを示唆していますよね。
カイラの夫は、カイラが早く回復できるように、優しく何でもしてあげるわけですが、そういう環境ではカイラは一向に回復しなかった。
でも、スティーヴとダイアンという「劇薬」の中に放り込まれることで、一気に自分らしさを取り戻していく、いや、今まで知らなかった自分自身を発見したというほうが近いかもしれませんね。
スティーヴとダイアンという存在は間違いなくカイラを癒したわけです。
そして一方のスティーヴとダイアンも、二人っきりの閉塞した関係性の中でうまくいかない事も多かったわけですが、そこにカイラが入り込むことでうまくバランスが取れるようになり、親子関係も以前より安定していくわけです。
何らかが「欠如」している者同士が、お互いにそれらを埋め合わせることで、少しずつ満たされた安定した状態になっていく。
そのような「関係性」という要因が、お互いの癒しにつながっていったのだと思います。
ただ、そういった一般的要素だけではなく、スティーヴとダイアンだからこそ、この二人じゃなければ絶対にカイラは癒されなかった、回復しなかった面も絶対にあるように感じました。
特にスティーヴの「剥き出しの純粋さ」「社会化されていない本能をそのまま曝け出す素直さ」のようなものが、カイラの回復には必要だったのではないでしょうか。
それはカイラの夫とは正反対のもの、カイラの夫には絶対に提供できないものでしょう。
そういった微妙な人間関係の要素を、本当に絶妙に描ききっているんですよね。
また、ある場面でのスティーヴの言葉がとても印象的でした。
いつかママは僕を愛さなくなる
いいよ
その日が来るのは分かってる
それでも僕はいつもママの味方だ
世界で一番大切な人だから
また、ある場面でダイアンはスティーブに対して「母親の愛は永遠に続くわ」と言いながら、結局はスティーブを施設に入れるという選択をせざるを得なかったということ。
カイラとお別れする場面で、ダイアンがスティーブを施設に入れたことに言及した際、ダイアンがカイラに言った言葉。
私は希望を選んだの
この世界に残された希望はごくわずかよ
でも諦めない人たちがたくさんいる
諦めなければ何かを変えられる
もし希望を捨ててしまったら、未来はない
すべて自分の選択
そう信じれば未来は開ける
スティーブを「施設に入れる」という選択が、「希望」であるということ。
あまりにも切なくて、でも何が正しくて何が間違っているのかという事も分からなくて、沈痛な気持ちでいっぱいになります。
ただ、映画の最後におけるスティーブの姿、輝かしい未来が待っているようには到底思えないけど、でもそのスティーブの姿には爽快感が溢れていて、僅かな温かみも感じる事ができました。
グザヴィエ・ドラン監督の凄さを改めて感じることのできた、まさに名作映画と呼ぶのにふさわしい「Mommy/マミー」。
僕のこの感想のような、こんな重たい観方をしなくても(笑)、もう少し軽く「美しい色」や「輝く光」を感じながら美しさを楽しめる映画でもあると思います。
あと最後にひとつ。
この映画の多くの場面は、画面比率が1:1というスクエア(四角形)になっているんですよ。※普通の映画は横長の画面ですよね。
「キャラクターの内面に寄りたい」という理由でグザヴィエ・ドラン監督がこれを選択したらしいんです。
確かに、グザヴィエ・ドラン監督のその意図を知ってから観ると、スティーヴ、ダイアン、カイラそれぞれの深刻な心情がよりヒシヒシと伝わってくるんですよね。
そしてスクエア画面から一気に画面が広がった時、大いなる解放感、爽快感が得られるんです。
映画でこんな体験をするのは初めてのことでした。
グザヴィエ・ドランが天才と言われる所以は、そのように自らが表現したいものへの執拗なこだわりがあるからなのかもしれませんね。
そんな名作である「Mommy/マミー」。
ぜひ多くの人に観てもらいたいですね。
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